高岡仏具卸業協同組合高岡仏具卸業協同組合

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技術情報

律宗

開祖鑑真
歴史 律宗は、中国の初唐時代の高僧・道宣によって大成された宗派のひとつである。日本には道宣の孫弟子・鑑真によって伝えられた。754年、日本にやってきた鑑真は、東大寺を住家とし活動する。759年には、授戒伝律の根本道場として唐招提寺が建立された。さらに、下野の薬師寺、筑波の観世音寺に戒壇院を設け、これによって日本の律宗は大きな進歩と繁栄を遂げた。
本尊 毘盧遮那仏を本尊としている。また、ほかの諸仏や菩薩も等しく崇拝する。
教典 律宗三大部として「四分律蔵」「梵網経」「法華経」が重要とされている。そのほかに、「菩薩戒通別二受鈔」「南山撰集録」にある章疏を用いることもある。
総本山 唐招提寺 真言律宗の総本山は西大寺
華厳宗

開祖道せん
歴史 日本へ伝えられたのは736年、唐の僧・道せんの来日による。このとき「華厳経」とその関係の書物をもたらした。次いで740年に新羅の僧・審祥が来日する。審祥は奈良の金鐘道場(現在の東大寺三月堂)で「華厳経」の講義を行った。審祥のあとを継いだ日本人の僧が、良弁である。東大寺の法華堂で「華厳経」の講義を行い、これで実質的に、日本の華厳経が南都六宗のひとつとして成立した。
本尊 毘盧遮那仏を本尊としている。
教典 「華厳経」(大方広仏華厳経)を根本教典としている。
総本山 東大寺を大本山とする。東大寺は、752年に聖武天皇によって建立された世界最大の木造建築物である。金堂の毘盧遮那仏が、奈良の大仏さまのことである。
法相宗

開祖道昭
歴史 法相宗の始祖は中国の玄奘三蔵。インドまで仏教の経典を求めて旅をした僧である。日本には653年、唐に留学した道昭によって伝えられた。玄奘から教えを受けたのち元興寺を拠点としてその教えを広めた。
教典 よりどころとしている教典は「解深密教」と「成唯識論」である。「解深密教」は、唯識の思想を説いた、はじめての教典とされている。
大本山 興福寺と薬師寺が二大本山である。
天台宗

開祖最澄
歴史 天台宗の紀元は中国・南北朝時代末期から隋の時代の中国天台宗にある。最澄は804年、38歳のときに、留学僧として唐に渡り、天台山で天台教学を授かった。さらに、真言密教、禅、戒律も学んだ。帰国後、比叡山を拠点に円(天台)、密、禅、戒の四宗を融合した天台宗を興したのである。
本尊 久遠実成の釈迦牟尼仏を本仏としている。したがって、釈迦牟尼仏のいろいろな動きの姿を表現した薬師如来、観音菩薩など諸尊、諸仏を等しく本尊として祀る。
教典 「法華経」を根本教典としている。ほかに四宗融合のため「阿弥陀経」「大日経」「梵網菩薩戒経」などの教典も取り入れている。
総本山 総本山は比叡山延暦寺。門跡寺院も多く、輪王寺、妙法院、三千院、毘沙門堂、青蓮院などがある。
真言宗

開祖空海
歴史 804年に留学僧として入唐した空海は、唐で密教第一人者の恵果のもとで、密教の金剛界、胎蔵界両方の秘法の全てを授けられた。さらに密教の習得に必要な教典や密教法具を受け継いで帰国した。帰国した空海は持ち帰った多数の教典を「請来目録」としてまとめて、朝廷に献上した。816年に高野山を開き、金剛峰寺を建立した。
本尊 大日如来が本尊だが、諸菩薩、諸明王も大日如来の徳のひとつを表していると考え、同じく崇拝する。
教典 「大日経」と「金剛頂経」が根本教典である。どちらの教典も、教えを理論的に解説しただけでなく、実践する方法も併せて説いた教典である。
総本山 真言宗はいくつかの門流に分かれて発展したため、門流ごとに本山が誕生した。
融通念仏宗

開祖良忍
歴史 開宗されたのは、1117年である。良忍ははじめ、比叡山で天台宗の修業を積んでいたが、当時の僧風の乱れを嫌い、京都大原に来迎院を建てて隠棲し、念仏三昧の修業の日々を送っていた。46歳のとき阿弥陀如来から直説を受けて、融通念仏宗を興した。
本尊 「十一尊天得如来」という絵像が本尊である。阿弥陀如来を中心に10体の菩薩が周囲を取り囲んでいる図である。
教典 「華厳経」「法華経」「阿弥陀経」などを根本教典としている。「融通円門章」も宗派の教義を説いた書として用いられている。
総本山 大念仏寺が総本山
浄土宗

開祖法然
歴史 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、末法思想が蔓延していた。こうした不安な時代を見かねて法然が開いたのが浄土宗である。凡夫が救われる道は、専修念仏であるとし、これを説いて布教活動を行った。浄土宗の誕生によりようやく仏教が民衆に門戸を開き、大衆化されたのである。
本尊 阿弥陀如来を本尊とする。
教典 根本教典は、浄土三部経といわれる「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三つである。
総本山 総本山は知恩院。法然の没後に源智が大谷に建立したものが前身である。このほかに、七大本山として増上寺、金戒光明寺、百万遍知恩寺、清浄華院、善導寺、光明寺、善光寺がある。
浄土真宗

本願寺派開祖親鸞

大谷派開祖教如
歴史 親鸞は9歳で出家してから、20年間比叡山で修業を積んだのち、法然のもとで修業をする。その間、流罪や弾圧を受けるが屈することはなかった。親鸞の没後、親鸞の娘、覚信尼と門弟たちが墓所として京都の大谷に廟堂を建てる。ここを守る留守職が設けられ、本願寺の源流となったのである。その後、顕如の代に分裂。十二世教如により1602年東本願寺が建立され大谷派が誕生する。
本尊 阿弥陀如来を本尊とする。
教典 「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経を根本教典とする。また、親鸞の著した「教行信証」も重んじられている。全六巻からなる。
総本山 真宗十派といわれる10の分派がある。大谷派の東本願寺、本願寺派の西本願寺、高田派の専修寺、興正派の興正寺、仏光寺派の仏光寺、木辺派の錦織寺、山門徒派の専照寺、出雲路派の毫摂寺、山元派の證誠寺、誠照寺派の誠照寺である。
時宗

開祖一遍
歴史 開祖である一遍は、もともと西山浄土宗を学んでいた。その後、長野の善光寺で浄土往生の図に深く心を打たれ、修業を積んで独自の念仏信仰を確立した。そして、念仏札を配り念仏信仰を広めるために、全国行脚の旅に出たのが時宗の始まりである。
本尊 阿弥陀仏を本尊とするが、一遍は信者たちに、これを具体化したものとして「南無阿弥陀仏」の名号が本尊である、と説いた。
教典 「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経を根本教典とする。なかでも「阿弥陀経」を重んじている。
総本山 清浄光寺。遊行四代の呑界が開いた寺で、遊行寺ともいわれる。
臨済宗

開祖栄西
歴史 栄西は二度にわたって宋に留学し、臨済禅を学んだ。帰国後、まず九州を拠点とし、臨済宗の布教を行う。1195年に日本初の禅寺である聖福寺を建立した。
本尊 釈迦牟尼仏を本尊としているが、各寺院のその縁によって、釈迦如来、大日如来、薬師如来、諸観音菩薩などが祀られている。
教典 禅宗では「不立文字」「経外別伝」という達磨が掲げた思想により、この教典でなければというこだわりはない。古くからの慣習として「金剛般若経」「般若心経」「法華経・観世音菩薩普門品」などの経が読まれる。
本山 臨済宗では本山ではなく、南宋の五山制度が設けられていた。鎌倉五山は建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の五寺。京都五山は南禅寺を別格とし、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺である。
曹洞宗

開祖道元瑩山
歴史 五年間宋に留学した道元は、建仁寺で座禅について解説した「普勧座禅儀」を執筆した。その後、京都深草の興聖寺を拠点に布教活動を行う。しかしその頃は曹洞宗という呼び名はなく、道元から四代あとの瑩山の時代になってから曹洞宗と名乗るようになった。
本尊 釈迦牟尼仏を本尊とする。
教典 「法華経・如来寿量品」「法華経・観世音菩薩普門品」「般若心経」「甘露門」や「大悲心陀羅尼」などが読まれる。
本山 永平寺、総持寺を大本山とする。
黄檗宗

開祖隠元
歴史 中国・明時代の高僧・隠元が1654年に日本に伝え、広めた禅宗の一派。1661年に京都・宇治に万福寺を開く。
本尊 釈迦如来、観音像などが多く祀られている。また、個々の寺院の縁によって、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩などを祀るところもある本山の万福寺では、大釈迦如来像が祀られている。
教典 「不立文字」「教外別伝」を旨とし、特によりどころとする教典はない。日常読まれるお経をまとめたものを「禅林課誦」という。
本山 万福寺を大本山とする。
日蓮宗

開祖日蓮
歴史 清澄寺や比叡山で修業を積んだ日蓮は、仏教の神髄を法華経に見いだした。1253年清澄山頂で「南無妙法蓮華経」と登り来る太陽に向かって声高らかに唱えた。これが立教開宗の日とされている。その後、迫害や流罪にあいながらも、1274年身延山に久遠寺を開く。
本尊 「法華経」の如来寿量品に示されている久遠実成の釈迦牟尼仏を「本門の本尊」とするが、本尊の形態には特に統一はない。おもな形式には、一尊四士、二尊四士、一塔両尊、大曼荼羅がある。
教典 「法華経」を根本教典とする。
総本山 総本山は久遠寺。大本山は五つで、本門寺、妙顕寺、法華経寺、誕生寺、本圀寺である。